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日本における最初のリンパ球療法は、昭和46年、S博士によってはじめられました。
そこでこのリンパ球療法を「S療法」とよんでいました。
このS療法は、その時期にはすぐれた療法で、多くの癌患者に実施しましたが、問題がありました。
この問題を解決するために、諸先生がたのご協力と、試行錯誤を繰り返しながら、リンパ球の開始と同時にセレニウム酵母の服用を義務づけた結果、思いもよらないよい結果で、今日にいたっております。
これが「新リンパ球療法」なのです。
以前のリンパ球療法と区別するために「新」という言葉をつけてよんでいます。
ところで、「がん」という病気を表記するには、「がん」「ガン」「癌」と3つの方法がありますが、当用漢字に「癌」の字がないことから、「がん」が公用語の表記になっています。
たとえば、「国立がんセンター」などです。
しかし、この国立がんセンターなどを監督している厚生省では「がん」「ガン」「癌」のいずれの言葉もつかわれていません。
公式には「悪性新生物」とよんでいます。
漢字の「癌」をむずかしいからとカタカナ表記するのは考えものです。
漢字の「癌」は「傍」(がん)というかたいかたまりの意味で「巌」のことです。
これが病気の「痙」(やまいだれ)のなかに入って病気の「癌」になったわけです。
本書では「癌」という表記を使うことにします。
なお、ここでは新リンパ球療法で癌を克服した方々の実症例を多数記載しましたが、すべて仮名にさせていただきました。
昭和59年1月、Tさんは群馬県内の市の検査を受け、乳部に腫瘍が発見されていますが、このときは良性の腫瘍ということだったので、とくに治療を受けることもなくすませました。
同じ年の6月には、県の対癌協会というところで検査を受けていますが、ここでも結果はだいじょうぶということでした。
ところが、それから7か月後、翌年の1月に国立の病院で診てもらったところ、乳癌の3期であるといわれたのです。
そして、まもなく手術をおこない、癌の1部を切除しています。
その翌月からは2週間にI回のペースで通院するようになり、検査を受けるとともに、抗癌剤の服用をつづけました。
検査はその後3か月に1回、6か月に1回と、だんだん間隔がちぢまってきました。
抗癌剤はコルテバックスという名前の薬で、手術のおこなわれた1月から、2年後のニ月まで服用しましたが、Tさんは、この間、頭髪がすべて抜けてしまうという、ひどい副作用を味わわされることになるのです。
症状が1応の安定を示したということでしょう、3年近くつづけたところでやっと、この苦しい抗癌剤の投与から解放されたわけです。
しかし平安の日々は3年半しかつづきませんでした。
平成3年の5月には、乳癌が再発してしまったのです。
今度は手術はとてもムリです。
といって、もはやTさんのからだは、ふたたび抗癌剤を使用して耐えられるような状態ではありませんでした。
けっきょくTさんは、抗癌剤から放射線療法へと切り換えて、癌治療を進めることになりました。
同じ国立病院で、5月には3回、6月にはI「新リンパ球療法」で1苦痛から解放された22回の放射線照射がおこなわれました。
このただでさえ苦しい放射線治療のさなか、Tさんに残酷な追い討ちの1撃が加えられます。
6月はじめ、骨部のレントゲン撮影をした結果、手術あとの胸の部分に影がみえるというのです。
しかも、そこまでは放射線を当てられないというのです。
Tさんが群馬県から東北線に乗って、ご主人と1緒にCBS研究所を訪ねてきたのは、このレントゲン検査の直後、6月6日のことでした。
樵悴しきったTさんは、新たなショックも加わって、それこそ身も心もボロボロといった様子でした。
免疫細胞の活性化状況も、健康な人の半分というごく低いレベルで、私自身、「これは本当に効くのだろうか。
新リンパ球療法をこのまま受けさせても、経済的負担をかけるだけということにはならないだろうか」と、心ひそかに案じたものです。
長期にわたる抗癌剤の投与と放射線の照射が、Tさんのからだと免疫細胞とを、どうしようもない状態にまでたたいてしまっていたのです。
患者さんと家族の強い要望もあって、私は祈るような気持ちで新リンパ球療法をはじめました。
リンパ球の投与は1か月に2回でした。
しかし、私の不安を裏書きするように、夏がすぎ、秋が終わりを告げるころになっても、Tさんの免疫力は1向に回復の兆しをみせようとはしませんでした。
平成3年も終わろうとしているころ、私はご主人をよんで話をしました。
「たいへん残念なことですが、月に2回の新リンパ療法をこれだけつづけても、奥さんの免疫細胞が変化しないのです。
もしかしたら、このままリンパ球を投与しても効果はあらわれないかもしれません。
いたずらにこの状態をつづけていても見通しは立ちませんし、それだけお金もかかります。
化学療法か放射線療法に切り換えたほうがいいのではないでしょうか」ご主人は苦しそうに首を振ります。
「私はずっと、妻の直視できないほどのの副作用をみてきました。
苦しみを実感できない私でさえ、みであることはわかります。
妻に、もう1度あの苦しみを味わえとは私にはとてもいえません。
それに私には、もう妻が助からないことがわかっています。
それなら、ただ苦しませるばかりの治療を受けさせるよりは、苦しみも副作用もない、いまの療法をつづけていただいたほうが、妻も安らかでいられると思います。
お願いですから、先生、リンパ球をつづけてやってください」あきらめていた細胞が復活した。
少しあいだをおいて、翌年の3月13日から、ふたたびTさんへのリンパ球の投与がはじめられました。
前と同じ1か月に2回のペースです。
3回目のリンパ球投与がおこなわれる前の検査のとき、4月3日のことです。
なんと、これまでなりをひそめて動こうとしなかった免疫細胞に、はっきりとした変化があらわれたではありませか。
ついにリンパ球投与に対する反応がみられたのです。
それからは、Tさんの体調もめきめきと回復していきます。
リンパ球の投与は5月いっぱいまでは、1か月に2回おこないましたが、経過が順調なため、6月に入ってからは1か月に1回と、ペースダウンしています。
もうそれで十分でした。
Tさんの免疫細胞の動きは安定し、癌細胞はがっちりと封じ込められた形で動けない状態になりました。
体調も完全によくなり、現在までこの状態はかわりません。
リンパ球投与はいまも1か月に1回つづけています。
現在の様子からみれぱ、40日に1回で十分なのですが、それでは不安のようなので、1か月間隔にしているわけです。
それとともに、1日750マイクログラムのセレニウム服用をつづけています。
また、万が1の急変に対応するために、定期的な検査は欠かしていませんが、その検査は以前通院していた国立の病院でなく、近所の総合病院だということです。
Tさんの元気な様子にほっと安心したご主人は、国立病院に通院していたころを振り返って、こう述懐しています。
「あの病院では、これでもかこれでもかというように抗癌剤の副作用の連続でした。
妻はもどすものがなにもなくなるほどの、悪心嘔吐に悩まされ、髪の毛もすっかり抜けてしまいました。
それでも治らないのです。
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